平安時代の長久元年(1040年)より浅間社の神宮寺となり、創建されました。古くは真言宗の寺院だったと伝えられておりますが、衰退し大破に及びました。永禄元年(1558年)、臨済宗の一雄和尚によって中興開山され、当時は建長寺派の末寺だったと伝えられております。(神宮寺の歴史については歴史的資料に乏しく、詳しいことは残念ながら分かっておりません。)
延宝3年(1675年)、松本市女鳥羽の惠光院の江堂和尚が兼務の時代に臨済宗妙心寺派の末寺となりました。明治4年(1871年)松本藩の廃仏毀釈により廃寺となり、伽藍は薬師堂と庫裡を残すだけとなりました。明治6年(1873年)より本堂跡地は浅間学校の校舎となり、現在の本郷小学校へ移転するまでの四十年近くの間、子どもたちの学び舎となりました。
明治23年(1890年)に神宮寺は再興し、昭和63年(1988年)、髙橋勇音和尚の代に本堂が再建され、髙橋通方和尚の代にアバロホールなど境内が整備され、現在にいたります。
1. 本堂
現在の本堂は昭和63年(1988年)、髙橋勇音和尚(神宮寺第17世)の代に再建されました。「神宮寺を昭和の文化財に」と発願し、室町期の方丈様式本堂が完成しました。本堂を囲む山並みと調和した、落ち着きのある伽藍です。
2. アバロホール(観音堂)
平成11年(1999年)に完成した神宮寺の観音堂。観音様はサンスクリット語でAvalokiteśvara(アバローキテシュバラ)といいます。観音様の名前を冠したアバロホールは、最大収容人数は250名、音響照明やスクリーンも備え、お葬式だけでなくコンサートや映画上映などでも使われます。
3. でんりゅう
神宮寺の駐車場から道路を挟んだ場所に位置する「でんりゅう」。民家を改装し、多目的に使えます。中には聖観音菩薩像を安置し、20名までの少人数のお葬式や法事も行える施設です。
4. 薬師堂
薬師堂は延宝2年(1674年)に松本城主水野忠直の母・清陽院によって再建されましたが、昭和23年(1948年)の大火の飛び火に遭い消失してしまいました。現在の薬師堂は昭和33年(1958年)に再建されました。中には平安時代の作といわれる一木造りの薬師如来坐像が安置されております。
5. 永代供養塔
神宮寺には「夢幻塔」と「抱影塔」の二基の永代供養墓があります。夢幻塔が平成9年(1997年)に完成して以来、神宮寺では長きにわたって永代供養墓を守り続けています。
6. 枯山水のお庭
本堂の再建にあたり室町禅宗様式にこだわり、枯山水のお庭が築庭されました。本堂の縁側から、このかざることのない落ち着きのある庭を眺めてみてください。
7. 丸木夫妻の襖絵
『原爆の図』を描いた丸木位里・俊夫妻により描かれた襖絵。「十六羅漢」、「シルクロード」、「十牛図」、「地獄図」、「涅槃図」、「北アルプス」、「松竹梅図」は計88枚にも及ぶ大作です。
8. 永劫の火
原子爆弾が投下された広島で燃え続けていた火が採火され、永く「平和の火」として守られていました。アバロホール建設にあたり、火を分灯していただき「永劫の火」として灯り続けています。また詩人の山尾三省さんの「劫火」の詩が刻まれています。
9. 与謝野晶子の歌碑
「たかき山つゝめる雲を前にして紅き灯にそむ浅間の湯かな 晶子」
上高地からの帰途、浅間温泉の富貴の湯に投宿した時に詠んだ歌です。真蹟を拡大し、歌碑として遺されています。
10. 羅漢像
下伊那郡松川町の彫刻家、大場敏弘さんの作品です。境内のあちこちに人間味にあふれた羅漢さんが佇んでいます。